挑戦しない人の方が、自分の能力を高く見積もっているって本当?

最近、挑戦することに臆さない方がこんな風に言っているのを聞きました。

「挑戦しない人の方が、実は自分の能力を高く見積もっているのではないか、自意識過剰なのではないか。なぜなら、"もし〇〇に挑戦したら"という話をするとき、挑戦しない人に限って良いところまでいく前提で話している。それに、周りからの見られ方をとても気にしている。けど、(実際に挑戦する)自分は周りがそれほど自分に関心がないと分かっているので、結果を期待せずに挑戦できる

とてもおもしろい視点だと思ったので自分でも考えてみたところ、私はちがう意見にたどり着きました。

挑戦しない人は自己評価が高い?

この話では、主にこの2点がポイントになっています。
1.自分がどの程度結果を出すと予想するか
2.周りが自分を見ていると思うか

まず、1.自分がどの程度結果を出すと予想するか については、単純に経験の差が現れていると考えられます。
例えば、人間の脳には自分の顔を鏡で見た時“自分だと認識すると”脳内で美化する機能が備わっているそうです。つまり、「写真だとなんだか盛れない、写真映りが悪い」というのは、写真だとどれが自分か探さなくてはいけないことで客観的になり、普段鏡で見ている時のようには美化されないからなんです。
こういう自分を過大評価するフィルターが、顔だけでなく能力に関しても起こっているのではないでしょうか。実際に挑戦を繰り返せば、客観的な結果を理解していけますが、挑戦した数が少ないほど自己評価に補正がかかったままになるというわけです。

挑戦する・しないを決める要因は

では、その挑戦をする・しないを決めるのは何なのか。
それが、2. 周りが自分を見ていると思うか につながってきます。

「周りが自分を見ていると思うというのは、自意識過剰だ」と言われることが多いですが、果たして本当でしょうか。自分が他人のことを気にしているから、他人も自分を気にしていると思う、という方が自然ではないですか。
というのも、"自分"のことばかりを気にしているのではなく、自分が"他人に"どう見られているかを気にしているのですから、本当に気にしているのは他人のことなのです。

⁡例えば、人と自分(私)のことについて話すというときも、自分に集中できている人の場合は、人が私と同じほど私に関心をもっていないと感じるところを、
他人をより気にしてる人の場合、私についてこんなに色々意見があるんだと感じるので、どう言われるかを気にして尻込みするというわけです。

⁡あなたは、どちらの意見に近かったですか(^^)?

おすすめの記事