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「世に伯楽ありて、しかるのちに千里の馬あり」に思う事

昔から名言などが好きなのですが、中でも独自の解釈をして気に入っている中で、

世に伯楽ありて、しかるのちに千里の馬あり」という漢文があります。

これは、私が高校の授業で習ってから人に対して批判的な気持ちになったときに何度も思い返している言葉です。

一般的な訳と時代背景

訳「伯楽さんという馬の目利きがいた時代には、長い距離を走れる優秀な馬がたくさんいた。ただ、伯楽さんがいなくなってから、千里の馬も数を減らした。これは、優秀な馬が減ったのではなく、それを見分けられる人がいないだけだ。」

時代背景としては「自分が優秀にも関わらず科挙(当時の中国での難関国家試験)に受からないのは、試験管の見る目がないからだ。」と思う作者の気持ちを代弁した例えとなっております。

高校生だった頃の私が感じたこと

私はこの記事を読んで「誰もが伯楽じゃない」という事に改めて気付かされました。

伯楽程の目利きが無い人が、勝手に人にどのくらいの才能があるのか、人に対してこれが向いてそうとか、向いてないんじゃないかとか簡単に決めつけている。。と衝撃を受けました。
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大人になった今では決めつけている対象が他人だけでなく、自分もなのだと分かってきました。

何かに挑戦しようとするとき、「これは達成が難しいことだ」とか「時間がかかる」「自分には素質がない」などと無意識のうちに思ってしまっているのです。
しかし、実際には自分にとってどのくらいの難しいことなのかも、素質があるのかも、素人の私には分かっていません。結局は自分が勝手に思っているだけです。

私にとってこの言葉は、分かりもしないことを決めつけないる、自分の思い込みに気がつくきっかけとして役立っています。

ちなみに、訳した後に学校の先生は作者に対して「謙虚な気持ちも大切です。奢っているから受からなかったのでは。」とおっしゃっていましたが、私は人からの評価に流されずに自分の能力を信じ続けていた姿勢も尊敬できると感じました。

皆さんはどうですか?自分で自分の事を抑え込んでいませんか?

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